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(なんでも玩具になるお年頃) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
父ちゃんは家で祖母と待っている長女の所へ帰っていきました
私は大部屋に戻り
ベットに横になりながら
スマホで先天性サイトメガロウイルスを調べて
片っ端から読んでました
妊娠中にも調べたはずなのですが、
すべて記憶からとんでいて一から調べました
今後、次女に心配される症状を頭にたたきこんでいました
調べれば調べるほど不安で、申し訳なくて
スマホを見ながら、ずっと泣いてました
でも、大部屋なので泣き声も出せず
そして、他のお母さんに看護士さんが授乳の時間を知らせる小さい声も聞こえてきました
母乳をあげたくても、抱っこしたくてもできない…
また涙があふれてきました
消灯の時間が過ぎても寝れず
涙も止まりそうになかったので
大部屋をでて、人けのない場所にいきました
そこで、声をあげて泣きました
ごめんねと言いながら
2時間ぐらい泣き続けました
泣くだけ泣いたら、少し冷静になり
今、自分にできることは何だろうと考えました
保育器に入っているので、抱っこもできない
おっぱいもあげる事ができない…
次女に母としてしてあげれる事は何もない
じゃあ病院にいても意味がない
せめて、早く家に帰って、長女の事をするのが
母親として今の自分にできる唯一のことだと思いました
今思うと、産後の身体をゆっくり休むための期間として
設定された入院期間でもあるのに
この時は必死に「母親として」の自分を保とうとしていたのだと思います
決して、次女をほったらかしにしようと思ったわけでなく
感染させしてしまった上に、次女に何もできない母親失格の自分を
長女のお世話をすることで、なんとか母親としての自分を取り戻そうとしていたのでしょう
「早く家に帰る」そう決めたら、
寝て身体を早く回復させて、
早く退院する許可を先生からもらおうと思い
部屋に戻って、寝る事ができました
調べる時間・泣く時間・寝る時間が等分だった
診断の日の夜でした